<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" version="2.0"><channel><title><![CDATA[河崎みか]]></title><description><![CDATA[河崎みか｜書き手]]></description><link>https://www.mikakawasaki.com/blog</link><generator>RSS for Node</generator><lastBuildDate>Sat, 25 Jul 2026 22:00:05 GMT</lastBuildDate><atom:link href="https://www.mikakawasaki.com/blog-feed.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title><![CDATA[一時帰国から立ち直るまで]]></title><description><![CDATA[一時帰国からアメリカに戻って2週間弱が過ぎた。 ようやく私の心に平穏が戻ってきたようだ。 アメリカ到着後、夫は即仕事に取り掛かり、子供たちは数日後には宿題を少しずつ始めたり、習い事を再開したりして、私より早く日常を取り戻したように見える。 じゃあ、私は何をしていたかというと、 傍目には、誰よりも「何もしていなかった」。 時差ボケで昼夜逆転の生活でも、何にも影響しなかったから。 でも、それは正しくない。 規則正しくつかれる餅は家族。 その餅が、満遍なく、順調に餅となれるようにする「合いの手」が私。 ぺったん、ぺったんの間に差し込まれる、 ともすれば振り下ろされる杵に当たりそうな、 あの「合いの手」。 合いの手は、なくても、餅はできるのかもしれないけれど、 なければ、やっぱり、一部だけが杵につかれ続けたり、臼や杵に餅がくっついたりして きっと何かが滞る。だから、「合いの手」はとても大切。 私は、大事な「合いの手」。 家族全員がそれぞれの日常を取り戻したのなら、 それは私の「合いの手」があったから。 そう思えるようになったのが、私自身の心に平穏が戻った合図。]]></description><link>https://www.mikakawasaki.com/post/%E4%B8%80%E6%99%82%E5%B8%B0%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89%E7%AB%8B%E3%81%A1%E7%9B%B4%E3%82%8B%E3%81%BE%E3%81%A7</link><guid isPermaLink="false">6a63ea83532301fe59f98e7d</guid><pubDate>Sat, 25 Jul 2026 14:06:13 GMT</pubDate><dc:creator>meixiangheqi</dc:creator></item></channel></rss>