あの時の私へ③
更新日:6 日前
2024年刊行『駐在妻をあなどるなかれ』の一節と、あの時の自分へ、今の私から綴る言葉。
ー妙に甘いものを欲するようになり、それを食べる手は震えていました。「夫がおかしい」そう感じながら、私も自分のことで精いっぱいだったのです。「駐在妻」というイメージに対する抵抗。子どももおらず母でもない、そうかといって留学生でもない、宙ぶらりんの立場で語学学習や人間関係をひとりで構築していかなくてはならないつらさ。私も気を抜くと、心が押しつぶされそうでした。
『駐在妻をあなどるなかれ』本文より
【あの時の私へ】
夫は何も痛みを感じないと思っていた。
夫の仕事で海外に来たのだから。
彼は職場でやることがあって、
目指すものがあって、
もらえるものをもらっているのだから。
「駐在妻」と
かろうじて名前をつけた自分が
「駐在妻って何なの?」と自嘲する声に
私だけが頭を悩ませていると思っていた。
今思えば、
彼が私の気持ちがわからないように
私も彼の気持ちはわかっていなかったのだ。
今も、彼が本当はどうしたいのかなんて
分からない。
彼が言わない限り、私は知ることはできない。
私があの時、「こうしたい」と言っていたら
彼はきっと、どうしかしてそうなるように
努力してくれたかもしれない。
あるいは、「それはできない」と
はっきり言ってくれたかも知れない。
私が苦しかったのは、
「こうしたい」と自分が言えなかったこと。
何をどうしたいかが、自分で分からなかったこと。
自分がこうしたいと思うことが
もし、家庭を壊してしまうようなことだったらいけないと、
自分を抑え込んでいたから。
今、わかっていることは、
私がこうしたいと思うことは、
家庭を不幸になんかしない。
私がこうしたいと思うことの中には、
家庭が幸せであることも含まれているから。
ちなみに、震える手の夫をいっとき任せたのは
彼の母、私の義母だった。
追い込まれる私の声は、
同じく追い込まれている夫には届かなかった。
彼のことが、分からないと思ったとき
頭に浮かんだのは、彼の母。
「あんた、なんかおかしいよ。」と
母に率直に言われて初めて、
肩を落としこうべを垂れる彼の姿を、今でも覚えている。
彼も、ずっと肩に力を入れたまま
この海外駐在と、家庭の運営に挑んでいたのだろう。
切羽詰まる若い私たちは、
お互いに弱いところを見せる余裕が
なかったのだろうね。
頑張ってきたよね、私たち。